プロ野球の歴史に残る伝説の選手!

日本のプロ野球の歴史は1936年から始まっています。
 
 
 
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現在はセントラル・リーグとパシフィック・リーグの2つのリーグで各6チームが優勝を目指し、日々戦っています。

球史に名を残した選手たちの偉大な伝説と主に、ご紹介します。
 
 
 

プロ野球語るならこの男の伝説から!

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野球史を方語るならこの人から。伝説のピッチャー沢村栄治という選手をご存知でしょうか。プロ野球のそのシーズンの最優秀投手に「沢村賞」を授与しますが、その沢村選手のことです。
 
 
 
沢村選手の伝説は、まだ日本でプロ野球が始まる前からアメリカ遠征に参加し、格下にもかかわらず21勝8敗1分けの戦績を残しています。
 
 
 
そして帰国後、日本でもプロ野球のリーグが始まりプロ野球史上初のMVPを獲得したり、ノーヒット・ノーランの記録を出すなど、大活躍します。
しかし時代は戦時中、徴兵に駆り出されただけでなく、左手を銃弾貫通で負傷、さらにマラリアに感染してしまいます。
 
 
 
復帰後、マラリアにより何度か球場で倒れてしまったり、右肩を痛めたことで速球が投げられなくなったが、すぐに転向したサイドスローによって、3度目のノーヒットノーランを達成しています。
 
 
 
そして、3度目の徴兵の1944年12月2日に、輸送船が銃撃され戦死してしまいます。1947年、沢村の功績と栄誉を称え、「沢村栄治賞」(いわゆる沢村賞)が設立さます。また1959年には、野球殿堂入りをします。
 
 
 
時代に翻弄された悲劇のスーパースター、沢村選手の伝説は偉業ですね。
 
 
 

通算400勝男は野球界の伝説に!

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金田 正一(かねだ まさいち)選手は、国鉄スワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)や読売ジャイアンツ に在籍していた選手です。
 
 
 
1950年にプロ野球の試合に初出場し、1969年に惜しまれつつも引退するまで、野球界の第一戦で活躍し続けた選手です。
その伝説の記録とは、「日本球界唯一の400勝」の投手だということ。
 
 
 
現在、ダルビッシュ有投手のように、多彩な変化球を持っている投手と違い、金田選手は速球とカーブが主体で、400もの勝ち星を重ねたところが伝説とされているところです。高校時代には、彼の球を取れる捕手がいないほどの、速球だったそうです。
 
 
 
引退した今は、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ )の監督や、日本プロ野球名球会初代会長、試合の解説などを務めています。
 
 
 
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好成績が記録ではなく、伝説になったというところに金田選手のすごさを感じますね。
 
 
 

こだわりの男の野球人伝説

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村田 兆治(むらた ちょうじ)選手は、1967年にドラフト1位指名を受け、東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団しています。
 
 
 
1年目の成績は振るわないものの、2年目から頭角を現し、、6勝(そのうちの5勝は完封)を挙げます。
1971年、金田正一監督にアドバイスされ、投球フォームを大幅に改造します。この投球フォームは後に、村田の代名詞となる「マサカリ投法」の原型となっています。
 
 
 
そして同年は12勝を挙げて先発ローテーションとして活躍、日本シリーズでは胴上げ投手になります。
 
 
 
1989年5月13日で通算200勝を達成。また同年、39歳で3回目の最優秀防御率のタイトルを獲得します。 翌年の1990年には10勝をマークして、10度目の二桁勝利を挙げます。史上2人目となる40歳代での二桁勝利を記録し、同年に現役引退します。
 
 
 
村田選手は、「人生先発完投」を座右の銘としていて、先発完投にこだわっっていました。
その無骨なまでの野球人生は、「昭和生まれの明治男」と言われています。
 
 
 
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まだ存命のレジェンドですので、是非野球の試合の解説者をチェックしてみてはどうでしょうか。
 
 
 

この男も忘れてはいけない!

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伊藤 智仁(いとう ともひと)選手は、1993年からヤクルトスワローズ で活躍したピッチャーです。
 
 
 
彼は1992年にドラフト1位でプロ野球入り、同年にはバルセロナオリンピック野球日本代表に選出され、1大会27奪三振のギネス記録を作るなど、日本の銅メダル獲得に大きく貢献しました。
 
 
 
初出場した試合では、先発で登板し、7回を10奪三振2失点で勝利投手となっています。伊藤選手の武器である150km/hを超えるストレートと、真横に滑るような高速スライダーで、投球回を上回る三振を奪い、前半戦だけで7勝2敗・防御率0.91の成績を挙げました。
 
 
 
全盛期の伊藤選手の球を受けていた、捕手の古田敦也はこういいます。
「あの高速スライダーは、捕手だからなんとか捕球できてはいるが、もし自分が打者だったとしたら絶対に打てない」と称賛。
 
 
 
「本物の高速スライダー」と呼ばれていましたが、怪我が多かった選手です。通算成績は37勝25セーブに終わったが、投手としての素質や評価は、野球界史上最高レベルで、伝説の一人としてあげられることの多い選手です。
 
 
 
現在は、東京ヤクルトスワローズで、一軍投手コーチを務めています。コーチとして今後も活躍してほしいですね。
 
 
 
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